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タイ・カンチャナブリ~ある軍属のお話

sakura さくらで~す。

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yuki ゆきで~す。

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 東日本大震災で被災された皆様にお見舞い申し上げます。

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sakura
今年もまた日本一ソフトウェア様から暑中見舞いハガキを頂きました。

お返事が書けなくて申し訳ありません。

今年の暑中見舞いハガキの絵柄は

魔界戦記ディスガイアシリーズを思わせる絵柄。

(下の写真)

コピーライツに2015と書かれてるので、

来年(2015年)に発売されるゲームソフトみたい。

いつものディスガイアのイラストに比べ等身が高いので、

絵柄がリアル志向のゲームが多い

PS4のようなゲーム機で発売されるような気が…

ところで今年の8月15日で太平洋戦争が終わって69年。

日本国は二度と戦争をしない、

また他国の領土には攻め込まないと言っているのに、

そのことを分かってもらえない国々があることは残念です。

政治家の方々にはもっとそのことを

全世界の人々にアピールして頂きたいと思います。

8月15日が何の日かわからない、

あるいは、日本がどの国と戦争をしていたか知らない

若者たちの事がTVで報じられてました。

私も戦争について知っていることは、

おじいちゃんに聞かせてもらったお話だけです。

以下はわたしのおじいちゃんの体験談です。

文中「私」と表記しているのはおじいちゃんのことです。
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タイ・カンチャナブリ~ある軍属のお話

 

 太平洋戦争も激しさを増す中、国鉄職員である私にも「赤紙」が来ました。

「赤紙」とは赤い用紙のハガキに印刷された召集令状のことです。

当時、この「赤紙」が来ると戦争に行くことを拒否することは出来ませんでした。

拒否すると逮捕されたそうです。

戦争に行くのをあくまで拒否した人は処刑されたという噂も聞きましたが

真実かどうかはどうかは定かではありません。

私は軍隊に入隊するために健康診断を受けました。

レントゲンに白い影が写ったため、軍人として不適格者と認められました。

それゆえ、私は軍人ではなく

軍属として戦争に参加することになりました。

蒸気機関車にゆられ九州まで行き、そこから輸送船に詰め込まれ

南方へと出港しました。

兵員で一杯の今にも沈没しそうな輸送船は

東シナ海の激しい波で左右上下に激しく揺さぶられていました。

船酔いで気持ちが悪くなった私は

気分が紛れるかと思い甲板に上がりました。

月明かりに照らされた海面に

イルカが2~3頭

船と並走するのが見え、

少し気分が和らいだような気がしました。

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 何週間か後に東南アジアのタイの港に到着。

そこからタイ北部のカンチャナブリという所へ

蒸気機関車で移動しました。

私が赴いた戦地は

1957年に公開された

米・英合作映画

「戦場にかける橋」の舞台になったクウェー川鉄橋の近くでした。

勿論、当時はこの場所を舞台に映画が作られるなどとは思いもしませんでしたが…

このカンチャナブリで私は軍属として軍人たちの料理を作っていたのです。

同じ軍属の仲間に乾(仮名)という男がおり、がっしりとした長身の男でした。

 食材を買う資金も乏しくなった頃、

乾は「もう何日も肉を食っていないな。タイ人の村から鶏や豚を盗んでくるか?」と言いました。

私は「大日本帝国軍人として恥ずかしい行為だろう。」と責めました。

乾は「まあ、俺たちは軍人じゃないけどな。そこらにたくさんいる野良犬でも殺すか。」

そう言うと、乾は道端の太い棒を拾い上げ、

近くにいた野良犬の頭上へと振り下ろしました。

ピクリとも動かなくなった犬の亡骸を拾い上げると、

乾は「これでも美味いんだよな。」とボソッと呟きました。

私と乾は犬の皮を剝ぎ、内臓を取り出し、肉の塊にし、

更にそれをスライスしてタイ風の鍋にしました。

みんなは久しぶりの肉に興奮し、

「なんの肉か知らんけど美味いな。」と美味そうに食べていました。

私は犬の肉を口に入れて食べようとしましたが、

犬が殴り殺される瞬間を思い出し、吐き出してしまいました。

 そんな事があった数日後、

私たちの部隊は移動することになりました。

蒸気機関車の貨物車両に乗り込むと、

他の仲間は既に乗り込んでいましたが、

乾は見当たりませんでした。

出発の時間になりゆっくりと蒸気機関車が走り始めると、

乾が後方から走りながら私たちの車両に近づいてきました。

乾は「間に合った。」と叫びながら車両に飛び乗ろうとしましたが、

上手く飛び乗れず車両から転落。

足が車輪に巻き込まれズタズタに引き裂かれました。

乾はこの事故で出血多量と感染症で亡くなりました。

悪いことをした報い、あるいは犬の祟りなのでしょうか。

 部隊が移動してしばらくして、日本が負けたとの知らせが入りました。

当時、日本を遠く離れたタイでは

戦争に負けた日本がどうなったかを知ることは出来ませんでした。

(今ならNETで全世界の動向を知ることが出来ますが…)

ですから当時の私は「米軍につかまるから、逃げないといけない。」と思っていました。

タイ人の農家の下働きをしたり、

華僑(外国に住み商売をしている中国人)の元で働いて、

こっそりと生きていました。

ある時、旧日本軍人たちの日本への帰国船が

タイの首都から出ていると言う話を聞きましたが、

仲良くなった華僑の人たちから

「日本へ帰ると殺されるから、タイで暮らすほうが安全だよ。」と言われ

私はタイでずっと暮らすことになったのです。

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 その後、おじいちゃんは最終的には日本に帰ってくるのですが、それはまた別のお話。

この話を聞いた時に

「おじいちゃんも戦争中に敵兵を殺したことがあるの?」と聞いてみたかったのですが

口に出せませんでした。

もっと戦争中の事を教えてもらいたかったです。

亡くなってしまって聞けず仕舞いになってしまいました。

上記のお話については年月や場所等の詳細は分かりません。

本人が亡くなった今では確認しようがありません。

多少なりとも曖昧な所も混じってますのでご了承ください。

犬を殺して食べた事と、その祟り(?)で死んだことは事実です。

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